生産性とクオリティ
中国山東省にいるアルよ。
青島空港からタクシーに2時間揺られて移動しています。すでにオーストリアを出てから20時間以上が経過してます。
今回のお仕事は(うちのシステムが動くまで)帰れま10です。あのハチャメチャが押し寄せてくる現場を思うとすでに泣きそうです。
でもこれも海外の本社で働いているからこそ、世界中に飛ばされるという(意識高い系だったころに)挑戦したかったであろう体験ができているのだと言い聞かせ奮い立たせています…
時差ボケと移動の疲れからポケーっとしつつ、タクシーの激しい運転で頭も揺さぶられ、ふとある考えに至ったのです。
「中国ってメッチャ生産性高いんちゃうか?」と。
中国で働いている方はよくご存じだと思いますが、彼らは本当に必要最低限のことしかやらない。
合格ラインギリッギリのところを狙いすましてくる。というか、アウトなものをセーフにしようとねじ込んでくる場合もけっこう多い。
前回行った時には、土木工事をしていました、これも本当はとっくに終わってないといけないはずだったのに「すぐに終わるから!」と言いつつ。アウトだよ!!
これを例に「なんでメッチャ生産性高いんちゃうか?」と思った理由を説明します。
たとえば100万円で工事を請け負ったとして、中国の業者は本当に求められていることだけを4時間かけて終わらせます。
しかし、おそらく日本の業者だったら「来た時よりも美しく」とか言って、工事には本来含まれていないお掃除なんかもやってしまう。
極端な話ですが、工事だけなら4時間で終わるところを、お掃除に1時間かけて合計5時間働いてしまったら、1時間で25万稼げるはずが、20万しか稼げません。
これで、すでに生産性は20%も下がってしまうわけです。
残念ながら実際には中国の生産性は高くないそうです。おそらく高付加価値の製品がまだあまり多くないからでしょう。
が、しかし、サービスや製品のおける適切な品質の設定という観点では中国から学ぶことがあるでしょう。
日本はもう少し品質をよくしてやろうという改善を加えるのですが、その付加価値は値段として大きく反映されてこない。ここに労働生産性が上がらない落とし穴があるのではないかと疑ってるわけなのです。
そしてこのちょっといいものを作り込んでやろう精神っていうのは日本人の中にかなり根深く根付いていてなかなか治らないんじゃないかと思ってます。
工事現場のようなブルーカラーの例だけではなくて、ホワイトカラーでもパワポにちょっとかわいいイラストを入れようとして「いらすとや」を徘徊してないですか?
これも生産性を低下させていますよね?だってイラストがなくても言いたいメッセージはほぼ伝わるでしょうから。
ヨーロッパ、特にドイツも日本よりも生産性が高いと紹介されますが、例えば彼らのパワポなども必要最低限の内容だったりします。
もちろん、ある程度は仕上げてきますが、特に社内向けの資料などは日本ほどに細かいところまで完璧に仕上げてきません。
(お客さん向けの資料も仕上げてこないときがあるって、日本支社のみなさんが間に挟まれてつらい思いをするハメになる…という外資系あるある)
海外就職して、現地で働いてみて、なるほど、このあたりの割り切りがうまくされているというカラクリで生産性が高いのかもねと感じています。
…ここで「日本もばっさばっさと割り切って改善していくべきである」という軽率な結論は導きません。
生産性だけを追っていては見失ってしまうものもあるからです。なぜならこういう職人気質のこだわりみたいなものが、日本文化に深みを与えていると考えているからなのです。
そしてこれが日本文化を唯一無二のものにしている原動力であり、これからも独特な文化を発信していくために重要なことだと感じているのです。
じゃあどうするのか。まず一つは、本当に必要なクオリティは何かを曇りなき眼で見定めることですね。特にこれは海外で評価される仕事をしていく上で重要になると思います。
もうひとつはの価値ある高品質のものをブランド化することがひとつの方法ではないかと思います、その苦労に見合う対価がもらえればいいわけですから。
市街地に入ってきて、運転がさらに激しくなってきました。もう車酔いするギリギリです、もう少し書きたいのですが今回はこれくらいで…では再見!